江戸時代は神明社と呼ばれていましたが明治に改号し天祖神神社となりました。天祖神社の創建年代は不明です。延宝2年の庚申塔の存在から江戸時代初期には存在したと考えられています。 この辺りの字名を神明村と称していたことが境内右手にあるの庚申塔の銘文で解ります。この庚申塔には延宝2(1674)年建立石神井郷神明村と記されています。庚申塔で区内で6番目に古いものです。また向かって左に勢至菩薩像のある二十三夜待供養塔は文化13(1816)年に建立されたものです。 境内 燈籠は、安政4年(1856)の造立です。基壇には世話人の名前が多数刻まれています。半数程度が本橋姓です。下石神井村川南講中とあり、石神井川の南側領域を指しています。 二十三夜待供養塔、庚申塔、地蔵菩薩 二十三夜待供養塔は文化13年(1816)2月の造立で角柱型です。正面上部には勢至菩薩坐像が刻まれています。その下には「廿三夜待供養」とあり、右側面には「武州豊嶋郡下石神井村」の銘があります。 二十三夜待というのは、月待信仰の中でも数多いもので、その月齢の晩に当番の家に集まり月の出を待つ会合を行う行事で、江戸時代中期以降に流行しました。 二十三夜待は勢至菩薩、十九、二十一、二十二夜は如意輪観音が通例です。 笠付角柱型庚申塔は、延宝2年(1674)11月の造立です。日月、二鶏、三猿が陽刻されています。右側面には「武列豊嶋郡石神井郷神明村」と記されています。 舟型光背型の地蔵菩薩像は享保2年(1717)11月の造立です。武刕豊嶋郡下石神井村の銘に「奉造立地蔵菩薩二世安樂所」と刻まれています。
MAP
練馬区下石神井6-1-6
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