法受寺(ほうじゅうじ)は、浄土宗のお寺です。 992年(正暦3年)、恵心僧都源信によって開山されました。本尊の阿弥陀如来は源信の作と伝えられています。当初は、武蔵国豊島郡下尾久(現・東京都荒川区尾久)に位置していて、天台宗のお寺でした。1264年(文永元年)に浄土宗に転宗し、1753年(宝暦3年)に谷中(現・台東区谷中)に移転しました。その後、1935年(昭和10年)に、谷中の法住寺、浅草の安養寺と合併し新たに法受寺となり現在地に移転しました。 5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院は、増上寺に埋葬され、昭和33年に合祀塔へ改葬されています。桂昌院の養家であった本荘家の菩提寺が安養寺であった関係から、桂昌院の墓碑が法受寺にあります。 桂昌院(けいしょういん:1627年-1705年)は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母です。 桂昌院は徳川家光の側室で、家光の没後尼となり桂昌院と称しました。その後自分の子綱吉が5代将軍になると、江戸城に入り、大奥に勢力をふるったと言われています。神仏への信仰が厚く、「生類哀れみの」を進言するなど幕府政治にも大きな影響を与えたと言われてます。 墓所は東京都港区の増上寺です。遺髪塚が寺の復興に貢献した京都府京都市西京区の善峯寺に「桂昌院廟」として存在します。 怪談「牡丹燈籠」 落語家三遊亭円朝の「牡丹燈籠」は谷中の法住寺が舞台です。江戸時代末期の1861~1864年頃創作されました。法住寺は、江戸名所図会に描かれているほどでしたが、維新で幕府の援助が絶え、荒れていたのを三遊亭円朝が『牡丹灯篭』に仕立てたようです。
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