日照山不退寺易行院(いざよういん)は浄土宗のお寺です。浅草清川町にありましたが、関東大震災後の1928年に足立区の伊興に移転してきました。易行院は、文亀2年(1502年)易道和尚によって建立されました。本尊は座像阿弥陀如来金銅仏です。 本堂の左側に「助六の塚」が残されています。この助六の塚の謂れがお寺の過去帳に記されていました。 過去帳には、文化年間(1804-1818)「西入浄心信士 俗称戸沢助六」と記されています。また隣には恋人の揚巻の墓があります。 市川家が主演する「助六縁江戸桜」は歌舞伎十八番の1つです。7代目市川団十郎が文化9年(1812)に助六百六十年忌法要を営んだとのことです。 江戸っ子の元祖とも言われる助六は、花魁揚巻の情夫となり、夜な吉原に現れては喧嘩三昧の日々を送っていました。けれども、侠客を装っているが、その正体は曾我五郎時致で、喧嘩相手に刀を抜かせ、紛失した源氏の重宝友切丸のありかをつきとめんとしていました。 友切丸を盗んだ犯人は、揚巻に横恋慕をしかける大尽、髭の意休でした。この男、助六がいくら挑発しても刀を抜かない。だがあるとき、助六を罵倒するうち、香炉台の足を曾我兄弟に見立て切ってしまう。そのとき抜いたのが友切丸。それを見た助六は夜のふけるのをまって意休を斬り殺して刀を奪う。実は意休、伊賀の平内左衛門という盗賊だったのです。 京都の侠客万屋助六は、宝永年間(1704~11)以前に京島原丹波屋の遊女総角(揚巻)と心中したと伝えられています。これが上方で噂となって大坂で劇化、さらに江戸浅草山に住んだとされる米問屋(または魚問屋)大捌助六(または戸沢助六)という男達とあいまって江戸っ子町人助六像がつくられたといわれています。
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