六月八幡神社(ろくがつはちまんじんじゃ)は、天喜三(1055)年、源義家が北征の途中、この付近で強力な賊の反抗に遭遇し、暑さ激しい日で形成が付利になりました。そこで、鎌倉の鶴岡八幡宮に戦勝を念じ、勝利しました。そこでこの地に八幡神社を勧請しました。 また当社の隣りに炎天寺も建立し、当社の別当寺としました。現在も神社と寺を分ける塀が途中で切れており、事実上境内が一体化しています。 なお、この地の村の名を六月、寺の名を、源氏の白幡が勝ったので幡勝山、祈願がかなったので成就院,炎天のさ中だったので寺の名を炎天寺としたという前九年の役のエピソードが伝わっています。 旗掛の松 この地周囲を望む小高い丘に義家軍は、源氏の白幡 (旗) を建て掛けた松の大木がありました。 「 旗掛の松」と伝承され、村人達によりその松の木は植え継がれて今日に及んでいると伝えられています。 天喜四年 ( 1056 ) 鎮守府将軍源頼義その子八幡太郎義家と共に勅を奉じ、奥州阿部一族征討の途次、この地に於て賊と戦う時に、陰暦六月 ( 今の八月 ) にして炎熱灼くが如く官軍苦戦す。 義家遥か西望して神助を祈り旗幟を建て士気を鼓舞し軍を整えて勇戦、遂に之を潰滅す。依って旗を建てたところに檀を設けて応神天皇を祀り凱歌を唱えと云う。 奥羽平定の帰途、この地に社祠を建立す。これ即ち六月八幡神社にして、その傍に寺を置き別当とし、土地の名を六月村、寺を幡勝山炎天寺とした。
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〒121-0814 東京都足立区六月3丁目13−19