瑞応寺(ずいおうじ)は、真言宗豊山派のお寺です。明応七年(1498年)の草創と新編武蔵風土記稿に記されています。本尊に観音を安置し〝夕顔観音〟と呼ばれています。中世、下総から武蔵一円に勢力を張っていた千葉常胤(千葉介平常胤)の一族が彫って納めたものです。明応七年(1498年)の草創と新編武蔵風土記稿に記されています。本尊に観音を安置し〝夕顔観音〟と呼ばれています。中世、下総から武蔵一円に勢力を張っていた千葉常胤(千葉介平常胤)の一族が彫って納めたものです。夕顔姫がこの辺りに住み、持仏堂として建てたためと伝えられています。空爆で建物・什宝・珍器を焼失し昭和50年頃本堂が再建されました。堂内には新たな夕顔観音が製作され安置されています。また内部の壁面に正応二年(1289年)のをはじめ13基の板碑がはめ込まれていて、数は区内一です。境内にも1636年の五輪塔、1682年の笠塔婆等石造物があります。 がこの辺りに住み、持仏堂として建てたためと伝えられています。空爆で建物・什宝・珍器を焼失し昭和50年頃本堂が再建されました。堂内には新たな夕顔観音が製作され安置されています。また内部の壁面に正応二年(1289年)のをはじめ13基の板碑がはめ込まれていて、数は区内一です。境内にも1636年の五輪塔、1682年の笠塔婆等石造物があります。 夕顔観音伝説 鎌倉時代、幕府の庇護を受けて総武の地に勢力を誇った千葉一族に、夕顔姫と呼ばれる心優しく美しい姫君がいました。夕顔姫は信仰心に篤く、父母に願ってこの地に庵を構え、豊かな自然に囲まれながら、念仏三昧の日々を送るようになりました。やがてその姫の人柄にひかれて、多くの人々が庵に集まるようになり、姫はそこで人々に読み書きを教えたりするようになりました。やがて夕顔姫は天寿を全うし、妙円という法名を贈られますが、妙円尼を偲ぶ人々によってその姿は観音像に刻まれ、その観音像が「夕顔観音」と呼ばれて、多くの人々の信仰を集めるようになったのです。
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