御番所町の石造道標は見つけにくい石造道標です。江戸時代の初め、両国から竪川(たてかわの北岸を東に進み、逆井(さかさいの渡しで旧中川を渡り、小岩で現在の江戸川を渡って房総へ向かう道が元佐倉道です。明治8年(1875)に千葉街道と改名しています。 江戸の防衛のために江戸川には橋が架けられなかったので、ここ小岩には小岩市川の渡しがあり、小岩側に小岩市川の関所(御番所)が置かれました。番所は明治2年に廃止されました。 もう一つの道は、ここで分岐していた岩槻への慈恩寺道です。江戸時代には霊場巡拝が庶民の間で流行し、西國、秩父とならんで坂東三十三ヶ所霊場もその対象となりました。霊場だった岩槻の慈恩寺へ向かう道ということで慈恩寺道と呼ばれました。 石造道標の正面には「右せんじゅ岩附志おんじ道 左リ江戸本所ミち」、右面には「左リ いち川ミち 小岩御番所町世話人忠兵衛」、左面には「右 いち川みち」と記されています。「北八丁堀 石工 かつさや加右衛門」製作者の名前が記されています。道標は安永4年(1774)8月に造立されたものです。
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〒133-0051 東京都江戸川区北小岩3丁目25−25−3