住宅の中にある共同墓地という感じです。現在は無住のためこのような状況になっています。目標物が無いため見つかりにくいです。 区内の古老たちの歌う民謡の中に「弥陀堂の和尚」という長い歌詞の唄があります。これによると江戸時代にこの篠崎の弥陀堂に一人の和尚がいて、木魚を横に抱えて歌い踊りながら、人々を教導したといわれています。この滑稽な念仏踊りで大衆の心をつかんだ住職がここに住んでいました。「安心法印不生位、延享二(1745)丑天三月一九日」という墓がこの和尚の墓だともいわれています。安心と刻まれた文字に彼の人柄がしのばれます。 地蔵菩薩像庚申塔(寛文五年銘) 左から2番目の地蔵。舟型で高さ163㎝、長文の銘が刻まれています。経文はお経の一部であり、偈文はその仏の功徳をたたえる詩文のことです。 「庚申講結衆 □善根功徳之基本拾年余輩 必人名□青面庚申之結衆造専 地蔵□浄土尊像偏大悲代一文(以下略)」とあります。 磨滅のため不明の所が多いのですが、庚申結衆が地蔵菩薩の徳をたたえて建立したと思われます。区の文化財に指定されています。 舟型光背型聖観音像 延宝7年(1679)5月に造立されたものです。「為日還法師菩提」とあるので僧侶の供養に造られたと考えられます。 延享二年(1745)の墓 安心法印不生位と刻まれています。これが弥陀堂の和尚の墓と伝えられています。
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江戸川区上篠崎2丁目21
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